一日の中でどれだけ笑って楽しく過ごしているでしょうか。
一日のほとんどが、不安や怒り、イライラ、もやもやで占められていますか?
忙しくてめまぐるしく過ぎる日々の中、ふと立ち止まって考えることさえ許されないほど、私たちはごちゃごちゃ考えてます。ほんの隙間さえスマホに占領され、自分の気持ちや心を見つめる時間があまりにもない。こみ上げる感情にただ振り回されてしまう、そんな自分に呆然とすることがあります。
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執着を手放すとストレス・トラウマも解消する
昨日、気に揉んでいることの多くは「他者が中心」である、と書きました。
家族であれ、同僚であれ、友だちであれ、自分以外はすべて他者です。
私たちは、人の態度や言動、生き方を変えることはできません。
ニーバの祈りをご存知の方もいると思います。
以前の職場でとても悩んでいたとき、この言葉を私に贈ってくれた方がいました。
God, grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。ラインホルド・ニーバーの祈り(訳:大木英夫)
はっ!としました。
なんて無駄なことに時間を使っていたのだろう、と。
他者と自分の境界線がなんとなくぼやけていました。
ただ良くしたい一心でエネルギーを注いでいるのにまったく好転しない。
でもその状況は私自身がつくっていたことに気づきました。
落ち込むだけ落ち込んで、必要もない恐怖におびえていました。
でも、この詩に出逢ってから、目の前の問題は「変えられることか?」「変えられないことか?」を見分けることから考えられるようになりとても楽になりました。
この言葉を贈ってくれた方には今でも感謝しています。
他人は変えられないが、自分は変えられる
私たちはあまりにも他人の言動を気にかけすぎです。
特に日本人はその傾向が強いように思います。
小学生のうちから周りにあわせ、集団行動の中に自分を馴染ませることが良しとされることも一因ではないでしょうか。一致団結、みんな一緒に、心を合わせて、素敵な仲間…もちろん悪いことではありませんが、このようなキーワードを徹底的に叩き込まれた私たちは「自我を出さず他者と同化すること」に必要以上に束縛されているかもしれません。
私も色んな場面で思い当たることがあります。
学校で、職場で、コミュニティで、その場の空気を感じ取り周りの行動を気にしてしまう。
他者の発言や何気ない言葉に反応的になりイライラしたりもやもやした感情が付きまとう。
でも、こう考えてみましょう。
自分と他者のあいだいに変化を及ぼす境界線をひく。
他者からすこし距離をおけば自分の場所も見えてきます。
「人はどう見ているのか?」から
「私はどう思うのか?どう感じるのか?」にシフトする。
他者をむりやり変えることはできません。
しかし、自分自身のことなら自由に変えていくことができます。
宿命は変えられないが、運命は変えられる
宿命と運命は似て非なるものです。
宿命はもって生まれたもので私たちの意志が関われないもの。
男性、女性、長女、次女、生まれた国、生まれた家庭…。
これらは私たちの意志ではどうにもならないものです。
(性別は色々な考え方がありますが、基本的に生まれた時点で意識は働きません)
対して運命は、関わる人、住む場所、暮らす国、携わる仕事、生き方…。
これらは私たちの意志で自由に選ぶことができます。
この宿命と運命の切り分けをしないがために起きる不幸は次のようなものです。
「お姉ちゃんはしっかりしなさい!長女だからと体罰を受けて厳しく育てられた。
だらだらして甘え上手、世渡り上手な妹に腹が立つ。妹に甘い母親も憎い。」
よくある長女の悩み。私も痛いほどわかります。
でも、こう考えてみませんか?
しっかりもので責任感が強く、頼りがいのあるあなたは家庭環境が育ててくれました。
その強みを生かせる場所で貢献できる仕事をする。
でも時には甘えて心を開ける場を創ることだってできるのです。
長女として生まれたことは宿命で変えられません。
しかし、どう生きるかはあなたが自由に変えることができます。
過去は変えられないが、未来は変えられる
「トラウマ」という過去の出来事をなにがあっても離さないひとがいます。
小さいころにこんな嫌なことがあった、辛いことがあってとても傷ついている。
だから今も心の傷をひきづっていて生きづらい。
この考え方だと「過去のできごと→だから、今こうだ。」となります。
今の私はしょうがない、不可抗力でこうなっている、ということです。
私も執拗に付きまとう過去に浸って悲劇のヒロインになっていたことがありました。
でも実はその過去をしっかり握りしめて絶対に手放さない!と決めていたのも自分でした。
こう考えてみてはどうでしょう。
同じ辛いことを抱えた人がいても次への糧にするひともいます。
つまり、すべてのひとにあてはまる方程式ではないということです。
それなら、「未来はこうする→だから、今こうしよう。」も成り立つのでは?
不可抗力ではなく、自分で未来を創る、ということです。
視点を過去に置くか、未来に置くかの違い。
過去はどうあがいても変えることはできません。
しかし、未来はどのような形でもあなたが自由に描くことができます。
変えられないことを受入れ、変えられることに集中する
自分の力が及ばないことに対して悩んだりこだわったりすること。
それはある意味時間の無駄でもあります。
私は先の記事でもかいたように、「暗い事件や世間を騒がすニュース」も他者が主語で変えることはできないのだから、考えあぐねることは無駄だと思っています。
ただ、理不尽な事件や不安定な世界情勢に至っては、切り捨てるのではなく真剣に向き合って考えなければいけないのでは?と思う方もいるかもしれません。
もちろんなぜこんなことが起きたのか原因を遡っていくことも大切だとは思いますが、それらの出来事を私がコントロールできるわけではありません。それならば、自分が影響を及ぼせる領域で真剣に考え自分ができる行動を起こすほうが、やり場のない怒りをぶつけるよりはよいと判断しています。
「いじめ」が世の中からなくならないのであれば、たとえば子どもの居場所をつくるために行動するのもそのひとつです。
変えられないものは何で、変えられることは何か。
「変化を及ぼす範囲を見分ける視点」を身に付けて
いつでも自分の意志で自由に変われるパワーを手に入れましょう。
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