人間関係は相手がいることが前提ですから、かならずやりとりがあります。
たとえば、相手が発したことばのウラを考えてしまうことってありませんか?
「いつもイヤミばかり」
「社交辞令で白々しい」
「そうやって私を責める」
こんなふうに即座に反応してしまうことって結構あるのではないでしょうか。
相手の言葉をまっすぐ受け止めてみる
人間関係がうまくいかないときって、相手をフィルターにかけて見てしまうので、その人が発する言葉もそのまま受け止められない。
あらためて冷静に考えると、気づかなかったことを教えてくれたり、解決策を示してくれていたのかもしれないのに、感情が先走って相手の言葉をみずから変化球に変えてしまう。
言葉ってキャッチボールだから、変化球を打ったら、変なところに飛んで行っちゃったり、またまた変化球で戻ってきたり。そうやって誤解が大きくなっていくことって少なくありません。
相手の言葉をいったんそのまま素直に受け取ってみる。
もしかしたら、その受け取ったボールにはなにか気づきがあるかもしれません。
その言葉が出てくるのはなぜなのだろう?と考えてみる
言葉をまっすぐ受け止めたあとは、なぜその言葉が出てくるのか考えてみるのです。
なぜ、そんなふうにいうのだろう?
いったい、どんな気持ちなんだろう?
相手も人間で当然「気持ち」があるのに、興奮しているときには自分が感情に支配されてしまうので相手のことまで考える余裕がありません。
今、自分が見ている視点はどこなのか?
それは自分自身に向かっているのか、相手に向かっているのか。
そうやって考えることが一瞬でもできたら、少しだけ視点を相手にシフトしてみるのです。
すると、不思議なことに今まで込み上げていた怒りがすっと消えることがあります。
その人はもしかすると寂しかったのかもしれません。
寂しいのに素直に言えなくて、こんな言葉を投げているのかもしれないのです。
寂しいことを人は認めたくないもの
私自信の人間関係でも、また相談される人間関係でも、もっとも多いのが「寂しい」という感情が原因でした。それは、奥底に深く隠されていてなかなか気づかないもの。
なぜなら、大人になればなるほど「寂しい」気持ちを別の感情に置き換えるから。
子どものころは、寂しいときには大粒の涙を流して全身で感情を表していたのに、いつのまにか、その気持ちを誤魔化して「自分は寂しくなんかない」と言い聞かせるようになるのです。
でも感情は自然になくならないから別の感情をまとって現れます。
怒りだったり、卑屈だったり、非難だったり。
自分自身でも感情を置き換えていることに気づかないこともあります。
感情を誤魔化しすぎていると本当はどう感じていたのか、怒りの原因が何だったかもよくわからない。
もしかすると、相手もそんな気持ちを抱えているかもしれません。
いつもの言葉を変化球で返すのではなく、グローブの中で受け止めたボールをいったん包んでちょっとだけ観察してください。
もし、相手の気持ちが「寂しさ」から来ているなら、その言葉を認められなくとも少しだけ理解することができるかもしれません。
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