仕事や家庭における人間関係に悩んでいると友人から相談を受けることがあります。

往々にして人は自分のフィルターを通して世界を見ているので、本当にそれが事実かどうかはわかりません。さらには悩みの対象となるひとを私自身知らないことが多いので、知らないその方のことをなんとも言えないと思っています。

でも事実なのは、「本人が人間関係で悩んでいる」ということ。

本人の思い込みや勝手な勘違い、相手の言葉の誤認などいろいろ理由はあるかもしれませんが、それがすべてフィルターがかかっていたとしても本人が悶々と悩んでいることは事実。
それだけは本当のこと。

なので、悩んでいる状態そのものを私は受け止めたいと思っています。

自分の感情を相手にコントロールさせることを許していると気づくと途端に楽になっていく

本人の話を聞いていると、相手の一挙手一投足が始終気になっている様子で、頭の半分以上がそのひとのことでいっぱい。仕事関係の人なら職場が近くになるにつれて、家族なら家に近づくにつれてどんどん頭の中を占領していく。

キライなひとのことがいつも頭から離れないということは、相手に感情がコントロールされてしまっているんですよね。言葉はよくないけど、乗っ取られてしまっている状態。

それに気づいたら、なんだか猛烈に腹が立ちませんか?・・・自分に。

なんでこんな人のことで私の貴重な時間を使わなくてはいけないんだろう!
なんであの人のことで私の心がイライラしなくちゃいけないんだろう!

視点を変えてみる。

今まで相手ばかり見ていました。
だから少し離れたところから自分を見てみます。

その怒りを相手に向けるのではなくて、自分に向けてみるのです。
相手が勝手に心に乗り込んできているのではなくて、自分が招き入れてしまっていること。
それがわかると、バカバカしい!って思えてきます。

私は友人の悩みを静かに聞いているだけですが、話すうちにだんだんとその怒りを自分でコントロールできることがわかってきます。たとえていうなら、車の運転席に座るときと助手席に座るときとでは、安心感が違いますよね。「なにかあっても自分でコントロールできる」という余裕があれば急なブレーキのたびに不安にならずにゆったりと構えることができます。

私は具体的に車にのっているイメージを頭に描きます。
運転しているのは自分。様々な人が私の車に同乗してきますが、座る場所は助手席か後部座席。私と相手の関係性によって座席は変わります。相手がハンドルに手を伸ばそうとしてきたらやんわり断ります。

「これは私の車だから。私が運転しますね。」

それでいいのです。
意思表示をしっかりして、感情的にならずに説明するだけ。
すこし距離を置きたいと思えば、相手をお送りして下車してもらいます。
あくまでも冷静に、また話したくなったら乗ってもらいましょう。
ただし、運転手は自分です。

もう迷わない!自分の人生を自分で生きる。運命は与えられるものでなく自分で決める/暮らしのシフトデザイン

相手を変えようとしても時間の無駄。静かに丁重に離れる

同乗者を自分で選べるような人生は理想ですが、なかなかそうもいきませんよね。

職場は選べても社員は選べません。
家族だって夫は選んだかもしれませんが夫のお義母さんは選べません。

人生に車に乗る同乗者はさまざまな人が現れます。
そのときに車のオーナーであるあなたはどうするのか?
「じゃあ、運転お願いしまーす」とは言わないと思うのです。

どこに行ってもどこに住んでも人間関係は永遠のテーマです。
避けてとおれないものならば、自分で主体的に気持ちよく対応していきたいですよね。

関係性がうまくいかない、この人とは合わないというのは必ずあります。
それをむりやりうまく回そうとするから苦しくなります。

静かに、丁寧に、自分から離れればいい。
怒鳴ったり、負けを認めさせる必要なんかまったくありません。
そもそも勝ち負けなんかじゃないのですから。

離れることが難しい関係性なら、心理的に離れて「視点」を変えて眺めてみる
お互いの役目が終わったのであれば手放すときが来るでしょう。

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