ウランバートルの空港に降り立つと、流暢な日本語で迎えてくれたのは20代後半の美しい女性でした。スラっとした手足で色白のその女性はロシア系だと言いました。
私が抱いていたモンゴルのイメージとはずいぶん違いましたが、国境を接する北はもうロシアですから民族がグラデーションのように混ざり合うことは不思議ではありません。
到着早々、島国日本との違いに新鮮さを覚えながら少々(いやかなり)荒々しい運転で旅の出発点へ。
数日間一緒に移動をともにするのは、日本でみるより一回り小さいかわいらしいモンゴル馬。
同伴者は相当馬に慣れていましたが、大した乗馬経験もないわたしはすこし心配でした。
そんな私の気持ちを察したのかロシア系の彼女は「だいじょうぶ!同じところをくるくるまわるより大草原を走ったほうが気持ちいいよー。」とウエスタンハットの下で笑っていました。
馬にまたがって颯爽と風を切り、草原を駆け抜ける。
自分にもできるような気がしてきました。
が。
これはもう上級者コースでしょ!
道なき道を走り、ゴロゴロした岩をくだり、馬の体が半分つかるほどの深い河をわたり、何度も落ちてはまた馬にのり、やっとの思いで一日を終える・・・という怒涛の日々でした。旅の最終地点を目の前に付き添いの車がパンクし、応急処置に追われたガイドたちが全員いなくなる、というなんとも日本では考えられない体験となりました。
それでも今思えば、満天の星の下で歌を唄いおしゃべりをして、暇さえあればモンゴル相撲、毎回ごはんを用意してくれる付き添いの料理のおばちゃんも一緒にお酒を飲んだ楽しい日々がとても懐かしく感じられます。
「家や土地を所有する」という概念を持たない人たち
いくつかの拠点でテントを張り、キャンプをしながら移動するなかで、視界にゲル(モンゴルの移動式住居)があることもあったので「あの人たちに断らなくていいの?」と聞くと、彼女は言いました。
「ここは誰の土地でもないから。好きなところに住めばいいの。」
この広大な大地はだれのものでもない。
「所有」という概念さえない。
日本では、個人の所有でない公園や空き地であってもキャンプはできません。キャンプ場でないとテントを張ることも難しい。まして外国から来たよくわからない者たちが突然自分たちの庭先にテントを張っていたらそれはもう大ごとでしょう。
そこには常に「私の土地」「私たちの土地」「自治体の土地」XXXの所有、という観念があるからです。
彼らは馬にも名前をつけていませんでした。
これだけ一緒にいれば愛着も湧くし名前を呼んで労ってあげたいと思いますが、「名前?そんなのないよ」という感覚に驚きました。でも家族のように接しているわけでもなく、かといってペットのように可愛がるわけでもなく、ただそこに居る存在そのものを受け入れているように感じました。
淡々と、与えられた場所でなにかに束縛されることなく一緒にいるものをただ受け入れて生きる暮らし。
私は夕暮れに染まった草原で、こちらの存在を気にとめることもなくいつもと同じ生活を送る彼らのゲルを長いあいだ見つめていました。
自分の世界を出てはじめて客観的に見ることができる
あれから10年。
当時、モンゴルでも場所を移動しながら生活する遊牧民は減少していて、町へ定住する人が増えているのことでしたらから、今はさらに遊牧生活は減少しているでしょう。私たちをガイドしてくれた彼女も自分の家はウランバートルだと言っていました。若い人たちはとくに町に住むことを好んでいるようで、馬に乗って遊牧生活を垣間見ることは物珍しずきの観光ビジネスになっているのかもしれません。
彼女たちの本音を知ることはできませんが、あの数日間は私にとって、あらためて考えることもない「常識であるあたりまえの日常」を考えるものとなりました。
土地を手に入れ、家を買い、ローンを払うために働く生活とはあまりにもかけ離れた暮らし。私たちがあたりまえに持つものを彼らは持たず、でも平凡ながら幸せな毎日を送っていること。一方では遊牧を捨て刺激を求めて町に惹かれる若い人々。その延長上にある商業的な世界で常にお金の不安を抱きながらストレスフルな日々を送る日本人。そんな日常に疲れ非日常を求めて異国を訪れてはじめて知ること。
私たちは自分の世界があたりまえだから、その外へ出ない限り自分の世界を客観的に見つめることはできません。
良い・悪いではなく、自分で判断するための選択肢をたくさん持つためにも一度は自分の家、町、地域、国を出なくては、と思います。
なぜなら、客観的な視点は、今まで考えもしなかったことを実際に経験して自ら考えなければ養えないと思うからです。
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