海外で暮らすことを考えたときにドイツを候補にする人はあまりいないと思います。
まず思い浮かぶのは英語圏のアメリカ、ハワイ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド。アジアではマレーシア、シンガポールあたりでしょうか。
タイに移住した娘の同級生は、毎年夏休み前の数週間だけ娘の日本のクラスに合流していました。
彼は日本と欧米系のハーフでバンコクではインターナショナルスクールに通っており英語での生活が可能とのこと。ひとむかし前に比べたら海外移住の選択肢もかなり広がり身近になってきたと感じます。
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ドイツ語よりも英語を身に付けたいんだけど?
しかし、海外=英語と紐づいている日本では、ドイツはまず移住候補にあがらないでしょう。
ドイツ語は大学の第二外国語で学んだよ、というひとが周りに結構多くて驚いたのですが、かといってその後習得したわけでもなくほぼ忘れてしまったというのがほとんどでした。
とりあえず市場のマーケット的な理由でドイツ語を選ぶのでしょうか?
まあ第二外国語ですし、言葉は使わなければあっという間に忘れますね…。
私の場合は英語を習得することが第一目的ではありませんがやはり言葉は大きな要素です。
自分が苦労したからこそ、身に付けるならやっぱり子供には英語を!と思いますよね。
しかしお金の問題だけでなく、近年英語圏をはじめビザの条件もどんどん厳しくなる状況です。
それならば英語も母語と同じように操ることができる国は?と注目したのがこの動画でした。
この動画を見て私が感じた記事はこちら。
こうしてフィンランドや最近注目されたオランダなどヨーロッパの可能性を考えはじめました。
最終的にはドイツベルリンに決めてこうして生活を始めたわけですが、最後まで気になっていたのは、やっぱり「ドイツ語より英語をなんとかしたいんですけど!?」でした。
ドイツベルリン。英語で生活できてしまう気楽さは想像以上
私は基本的に中学高校でしか英語は勉強しておらず、1年ほどのオーストラリアの滞在経験はあるもののその後ほとんど使っていませんでした。
仕事で必要に迫られることはありましたがそのとき乗り切れば終わり。
今必要でないものを優先する余裕は正直なかったです。
子供に「英語は大切だから勉強するんだよ」と言いながら、その大切な場面とはいったいどんなものでしょう?具体的に考えもせず私たち親は子供に強いてしまうことがありますね。
そういう私も同じですが、ただ言葉で伝えるよりも、苦労してでも英語でコミュニケーションをとる私自身の姿(つまり醜態!)を見せるほうが何倍も価値があるのではないかと思ったのです。
そのような意味では通訳のような流暢な英語でないほうが都合がよい(ものは考えよう)。
「ああ、こんな感じで言葉って通じるんだ」とか「私にもできそうだな~」とか。そんな断片を拾ってくれるなら、机の上の勉強以上の貴重な場になるのではないかと。
英語を使う場面って? 国を超えて自分の気持ちをどうやって伝える?
これからの子供たちの時代は英語は道具として必要になることは確実です。
たとえ親も子供も日本から出ない!と決めていてもこの状況は変わりません。
日本の人口構成と少子化を見ればこの状況は避けられません。 日本語がまったく機能しないこの国で使えるものは英語だけです。
でも覚えたドイツ語を交えながらコミュニケーションはできています。
※ただしこれはベルリン特有と言われていてドイツ全土が同じというわけではありません。
ベルリンは欧州系を中心に、東欧系、アジア系など多様な人種が生活しているため、ものめずらしそうな視線を感じることがありません。ときどき「え、そうなの?」とか通路を塞いで「あら失礼」など日本語が出てきてしまい、何語を話すと構えるよりも自然とコミュニケーションができる気楽さがここにはあります。
ただし、気楽さと同時にドイツ語の学習モチベーションを維持することが意外と大変なことに気づきました。
なまじ英語が通じるとそれに甘んじてしまうことになりかねません。
お客さまとしての旅行者ではなくこの場所で暮らしていくのであれば、その国の言葉を最低限覚えることはマナーであると感じています。
「英語を話す」が目的ではなくて「意志を伝える」が目的
案ずるより産むが安しですが、思ったよりもコミュニケーションが気楽に思えるのは、おそらく私の中で英語の位置づけが完全に「意思を伝えるための道具(ツール)」になったためだと思います。
英語圏では、ちゃんと英語を話さなければ!伝わる英語でなければ!と肩肘張っていたところがありましたが、ここではドイツ語が通じなければすぐに英語に切替えてくれるので、「ありがとう~。ダンケダンケ!」という気持ちが先にきてとにかく感謝している自分がいます。
人って感謝の気持ちがあると嬉しくて心が温まるし、笑顔になるし、まちがってもいいや~伝わることが素晴らしい!何かお返ししたい。私に何ができるだろう?って思えるんですよね。
英語圏ではこんな気持ちになったことはありませんでした。
誤解なきよう、もちろん真摯に向き合ってくれる方はいますが、露骨に嫌な顔をされたり、ベビートークされたこともありました。
これは私の中ではすごい発見でした。
そして娘にとっても同じような効果をもたらしていることを感じています。
英語って簡単? と思えることが英語教育の鍵
日本にいると「英語学習」がものすごく巨大な壁のように立ちはだかっていませんか?
その気持ちを利用するかのように英語産業はますます膨らみ、まじめな英語学習者ほどビジネスの餌食にされているように思います。
しかし、多国籍から構成される娘の語学クラスでは、ドイツ語に四苦八苦する反面、英語は共通語でコミュニケーションの道具になっているのです。
「ほら、こっちだよ」 「カフェテリアへ行こう!」 「日本語ではなんて言うの?」 こんな他愛もない言葉は英語でコミュニケーションをとっています。
そして英語以外の比較軸を持ったため、「英語なら少しはわかるのに…」「〇〇と〇〇ちゃんは英語でお話してる」など英語の印象がガラリと変わり、その位置づけがかなり下がっている様子。
つまり、言語は「日本語」と「英語」という二種だけでなくて、世界には様々な人種とともに言語があり、英語はその中でもっともシンプルで、違う国同士の子供たちも普通に使っている、という相対的な思考になったのです。
この根本的な問いを子供たち自身が実感できる環境があれば学習の意欲もきっと変わってくるはずです。
国際化、グローバル化という抽象的な言葉に惑わされることなく、「子供のなぜ?」に答えて学習意欲を伸ばすことができれば、日本の英語教育ももっともっと変わる余地があるのではないでしょうか。
子供の「知りたい」があればドイツでも英語学習は可能
私の現段階の結論として、ドイツでも英語学習は可能だと感じています。
少なくとも日本にいるとき、そして英語が第一言語の国とはまた違った視点で「英語の価値」をとらえていくのではないかと思います。
語学に限らずどんなことであっても本人が「もっと知りたい」という欲望がなければ身に付けることはできません。
勉強の本質は好奇心がすべてだと思うからです。
娘が友人を通して明らかに変わった姿勢を見守りながら、今後どのように言語を習得していくのか見届けていきたいと思います。
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