「自分に嘘をつかず正直に生きたい」
そう思うひとはたくさんいます。
でも本心のとおり行動できないひともたくさんいると思います。
いえ、本心のとおりに生きているひとなんてほんの一握りではないでしょうか?
自己中心から来る自己犠牲の想いはいずれ心が破綻する
私も正直に生きたいと思いながらその想いを払いのけていたのでよくわかります。
「本心ではこうしたい。でも家族がいるし、仕事はやめらないし、私は母親だし。
何を考えているんだ!単なるわたしのわがまま。自己中心の考えだな…。」
こんなふうに押し込めていました。
自分の想いより、相手のこと、家族のこと、周りのことを優先する考え方がもう体に染みついているんです。自己犠牲というと美徳なのかもしれませんが、自分を犠牲にするという考え方自体、自分を不幸にします。
だれかの犠牲になっている
なにかの犠牲になっている
我慢して辛抱する姿は美しいでしょうか。
でもその状態を続けていくといずれ心が破綻します。
自分の本心に向き合う時間をつくる
こんなふうに生きたい、と思うときってどんなときでしょう。
雑誌やネットでなにかの情報に触れたとき?
SNSで身近な友人の近況を知ったとき?
インスタグラムで素敵な暮らしを見たとき?
「こんなふうに生きてみたい」と思いがよぎることはあるけれどそのあと考え続けることってそう多くはないです。
「あ、もうこんな時間!お迎えにいかなくちゃ!ご飯作らなくちゃ!仕事の準備をしなきゃ…」日々の忙しい生活がすぐそこにいますから、いつまでも理想ばかり考えているわけにいきません。
だからこそ、真剣に考える時間を意図的に作らないと、いつまでたっても理想は理想のまま。また同じような情報に触れたときに何も動かず変わらず多忙な生活を繰り返す自分に落胆するのです。
私はこのようなループから抜け出すために、あえて「自分と向き合う時間」をつくりました。
まず早朝。家族のだれも起きていない時間に好きなお香をたいて静かに自分の心と話しました。また、ひとりでプールで泳ぎながら考えを巡らせました。水の中は異次元で頭がとても整理されます。そして、あえて「何も考えない」時間を茶道を通してつくっていました。
何も考えないって結構難しいです。座禅や瞑想でも考えないようにしますが、型や姿勢を決めることでそこに集中し思考をコントロールしやすくなります。
その想いは「なぜ?」と聞いてみる
意外と盲点なのは、自分の考えを深く掘り下げることが疎かにされていること。
「~こう思う」「~こう感じる」と表面的には感じても、それがなぜなのかあらためて考えることって少なくありませんか?
深堀ではなく、よくある横滑りはこんな感じ。
「へ~。なんで?」
「うーん。だって素敵だから」
「へ~。なんで?」
「なんでって…。素敵な暮らしがしたいから」
これ以上なんで?と聞くと大体怒り出します(笑)
素敵なものはステキなの!って感じですよね。
でも、自分の本心や価値観を知るには、もっともっと掘り下げる必要があります。
なぜ好きなの?
なぜ素敵だと思ったの?
具体的にどこが素敵だと思うの?
その暮らしをしているときあなたはどんな気持ちなの?
こうして自分で問い続けていくと、私が〇〇な暮らしがしたいのは、こうなりたい自分がいるからだ、と理想の姿が明確になります。
正直になった自分を楽しんで認めてあげる
自分の理想の姿、こうなりたいと思う姿が鮮明になったら、思いっきりイメージを深めましょう。好きなものを身に付けている姿でもいいし、理想の暮らしを実現してくつろいでいる姿でもいいんです。
このとき出てくる「バカバカしい」「なるわけない」という気持ちはできるだけ考えないようにします。自分の頭の中のイメージなのだから、どれだけ欲張ってもだれも見ていません。好きなように自由に考えればいいわけです。
よく思考は現実化するとか、想えば叶うといいますが、「え~本当?」と思いますよね。私は自分で体験しないと信じないですけど、実際体験してきているので今は信じています。
脳の働きからみると、脳は空想と現実の区別がつかないので、より鮮明に臨場感を持ったイメージに近づこうとする性質があるそうです。
昔テニスやピアノをやっていたときに「なんとなくミスるかも…」という気持ちがほんの少しでもあると、そのとおりの結果になっていました。「練習不足だな。本番に弱いな。」と自分をいじめていましたが、脳の働きから考えればなんともそのイメージを自分で創り出していた、ということになります。
自己中心とか自己犠牲とか、そんなことはまず考えずに「自分に正直なったらどうなるのか」それだけまず考えましょう。
理想の姿がハッキリ見えてくると、次はそのようになるために「どう行動するか」のステージに移ります。
自分に正直になるには、他人にも正直にならなくてはいけません。
あなたが本心で話をすれば、人は必ず本心で答えてくれます。
人間は呼応する生きものだから、そこは心配しなくても大丈夫。
「こんなこと言ったら怒られるかも」
「もしかしたら否定されるかも」
そのような考えさえあなたの思い込みにすぎないかもしれません。
他人の意見や行動を決めつけるのは逆に傲慢とも言えるのです。
勝手に他人の反応を想像しないできちんと相手の反応を受け止めればいいだけです。
自分の想いを自己中心と受取ったり、家族のためには押し殺しても本当に家族のためにはなりません。まず自分の気持ちに素直に従って、なぜそう思うのか、どうしてそうなりたいのか、深く考えていくと、次へつづく道が必ず見えてきます。
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