最近よく耳にする「予定調和」。

「予定調和」とは、ドイツの哲学者ライプニッツの形而上学的根本原理の一つ、と言われていますが、日本では話の展開が読めて次にこうなるなぁとなんとなくわかってしまうときにこの言葉が使われることが多いようです。私もこのような使われ方ではじめて「予定調和」という言葉を知りました。

この俗に言われる「予定調和」として話を進めますが、結局ストーリーが読めて予想通りの結果になれば驚くこともないけれど、「やっぱりね」の展開はなにより安心なんですよね。

でもこれに慣れきってしまうと徐々に新鮮さを失い、つまらない生活になってしまうこともあるでしょう。さらには何事も予想どおりにならず「本来ならこうなるはずなのに…」という展開ではイライラしたり相手のせいにしたりして厄介なことにもなりかねません。

予定調和っていいことなの?

「予定調和」の漢字だけみているとバランスがとれたよい状態の意味にとれそうですよね。
 でも実際に使われている感じでは実はあまりよいことではないのかもしれません。

私はまだ海外に出て1カ月もたっていないですが、まあすべてが遅々として進まず予定どおりにいきません。「ふつうXXXXだよね?」はここでは通りません。

日本では飛び込みで役所に行っても、その日に住民登録、健康保険、年金、子ども手当…とすべて関連部署から担当者が出てきて手続きも一回で終わりますね。ところがこちらでは住民登録にも銀行口座開設にもすべて予約が必要。関連手続きもすべて別々に予約が必要。

銀行口座開設に至っては「私の担当クラーク」がいるらしく、その人が病欠ならその日の予約はキャンセルです。私の担当クラークって…わたくしVIPですか!? 手続きしてくれるなら別に誰でもいいのですけど…。

それでもこれがこの国のルールなんですよね。
口座維持費もかかりますし、日本のようにここにもあっちにも口座作っておこう♪というノリではないのです。それだけお金の出入りに慎重になっていることですのでもちろん理解しますが、日本とはえらい違いだなぁというのがしばしば起こります。

予定調和なんてあり得ない。アクシデントが起きたらそのときに考える

日本ではだいたい予定は予定どおり進みました。
でもここでは予定は未定

なにが起こるかわからないし、起きたときに「さてどうするか」を考えるしかありません。
なかなかスムーズに事が進まないスタートで娘にとっては何かできるわけでもなく「大丈夫?大丈夫?」と心配するばかり。心配が先立つのはわかりますが、「大丈夫。どうするか考えよう。」と一緒に考えるのもまたいい機会です。

もう何度アクシデントがあったかわかりませんが、その時々に助け舟を出してくれる人がいるんですよね。ドイツ人の気質なのかまだわからないけれど「困っていれば助ける」という精神が子どもから大人まで根付いているように感じます。

横断歩道で待つ車椅子があればすぐに通りがかりの人が手を貸しますし、トルコ系のお店で言葉がわからず困っているとお客のひとりが英語で教えてくれます。

その人がたまたま親切だったのかな?とも思うですが、あらゆる場面でやはり同じようにその場にいるひとがすぐに助けてくれるので国民性なのかもしれません。

もちろん冷ややかな人もいますし、また見た目だけでドイツ人かどうかはわかりません。
ただ言葉に対しては、ドイツの中でもベルリンは英語を話せる人が多いという意味で協力しやすい地域性もあるかもしれませんね。

これは日本では体験できなかったこと
まあ日本では日本語で予定どおり事が運ぶので困る必要性もなくあっても何とか自分で解決できてしまいます。なかなか大人になるとそんなチャンスもありません。

こうして予定どおり進まないこと、また助けてくれることも娘は一緒に経験しています。わざわざ友達の手紙に描いているのをみると娘なりに感じていることがあるのでしょう。
そんなことも外に出てみて初めてわかることかもしれません。

予定調和のない世界であらためて気づくこと

日常的な暮らしをあらためて考えることってあまりないと思うのです。
それらがなくなったり享受できなくなったときに初めて「おや?」と感じるものだから。

たとえば。
日本ではなに不自由なくスムーズに動くように完璧にシステムが動いているのはなぜだろう?
日曜日も(お正月も!)お店は開いていてコンビニは24時間営業しているのはなぜだろう?
(こちらは日曜日はお店は全部閉まります。コンビニはありません。)
どうして日本ではこれほど便利な生活ができるのだろう?

こんな話を日本ですることはなかなかありませんでした。
自身もその便利さを享受していたわけで「疲れたからお惣菜買っていこう」と利用していたし、わざわざ疑問に思うこともありません。

別にお惣菜を買うことが悪いことだとは思いません。
仕事と育児の両立でほぼひとりで家事をこなすお母さんが多い日本では、外部リソースをどんどん活用すればいいと思っています。私もそうしてきましてし、周りの協力があったからこそ乗り切れてきたと思います。

あたり前のことはなくなってみて初めてその意味を知るものです

たしかに日曜にすべての店がクローズしている風景は驚きましたが、消費者目線で見ると「不便」と思ってしまうことでも、立場や視点を変えてみれば納得、賛成できることもあります。お店の人もみんな家族と過ごす時間をこうして守っているわけですから。

買いものは土曜日までに済ませればいいし、日曜日はお金をかけずにゆっくり公園や湖を散歩すればいい。週末は自然の中でサイクリングや散歩を楽しむ人々にたくさん出会います。日曜にすべて店が閉まることはまったく問題ないどころか、私はとてもよい習慣だと思いました。

日本で同じようなシステムを取り入れようとしても、消費者から不満がでるかもしれません。
平日は終日忙しく、買い物は週末まとめて買い出しするのに日曜に休まれたらかなわない!という具合です。

おそらく「働きかた」から繋がっているんですよね。
観察していると午後3、4時頃になると子供を学校に迎えにいくお父さんお母さん(とにかくお父さんが多い!)がたくさんいて、買いものをしながら帰る姿をよく見かけます。つまり平日にも余裕で買い物ができる働きかただからこそ日曜に店が閉まっていてもまったく問題ないのでしょう。

余裕のある無理のない暮らしをしているから、他のひとの休みにも寛容なのかもしれません。

私が日頃から感じていた働きかた、暮らかた。
今、まったく違う土地、違う世界に来て新たに気づくことがたくさんあります。

これからもふつうの暮らしをしていく中で等身大で感じたこと、気づいたいことをまたお伝えしていきますね。少しでも皆さまのヒントになるものがあれば嬉しいです。

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