数年前から茶道をはじめました。
20代で一度さわりを習う機会はあったものの、その後生活に埋もれてしまいほとんど忘れ去っていました。40代になってから、あらたな出逢いでまたお茶に近づく機会が訪れました。

その奥深さは言葉であらわすことができません。そして若い頃にまったく感じなかったことが、今身に染みるのはそれだけ人生を重ねてきたからかもしれません。

あの四畳半の小さな小さな空間。どうやって入るの?と思えるような狭いにじり口。
頭を下げて膝をつきながらにじって入るため、刀を携えたまま入ることはできず、刀は茶室の外に置いたそうです。茶室の中は身分もなにも関係なく「ひとりの人間」として向かい合うのだと。

私は日本文化に精通しているわけではありませんが、自分が茶道を通して経験したことをここではお伝えしたいと思います。

日本文化は作法がめんどうくさい!嫁入り道具はもう不要!?

茶道というと、あんなに細かいお作法覚えられない!とか、型の順序も決まってて難しすぎてムリ!とか形で敬遠してしまう方が多いですね。私が友人に一緒にやらない?と誘っても、そんな反応の方が多くてちょっと残念です。いまだに茶道や華道を「嫁入り道具」のひとつと捉えている方もいてびっくりしました。自分ブランドを強化する一要素くらいの位置づけなのでしょうか。そういう解釈かならすでに出産した母親にとっては何も利益がない、という発想が出てきても仕方がないですね。

私が茶道を続けているのは、型や作法を完璧に覚えたいというより、なにより精神に直接働きかけて、心の持ちようを教えてくれるまたとないツールだと思うからです。

茶道とは「もてなし」と「しつらい」の美学だといってもよいでしょう。 亭主となった人は、まず露地(庭園)をととのえ、茶室の中に、掛物や水指・茶碗・釜などを用意して、 おもてなしの準備をします。これらはすべて日本の風土が育んできた文化的な結晶といえるものばかりです。 だから茶道とは「日本的な美の世界」だということができます。そして亭主と客の間に通う人間的なぬくもりが重要な要素となります。 それを「和敬清寂」の精神といいます。

引用元: 裏千家今日庵

現代の生活にどっぷりつかっていると、ちょっと敬遠してしまう世界であることは確かです。いったいどう振舞っていいのか不安になるし、さまざまな決まりごとを「こんなことも知らないの?」という目線で見る独特の雰囲気も好きではありません。

亭主が相手のことを想って準備した時間や空間の中で「しきたりはよくわからないけど、とても居心地がよかった」と感じてもらえれば、これほど嬉しいことはないと思うのです。

カタチや作法の裏に隠れた本質は日本人ほど見えないもの?

茶道の本質を知りだれもが気兼ねなく体験できればよいのですが、積極的に自分から関わらない限りそんな機会はありません。

よく海外に出てはじめて自国の文化を見つめなおす、と聞きますが、日本ではまったく考えてもいなかった「日本人」という感覚を、あたりまえですが、海外に行くといやでも意識せざるを得なくなります。そして周りの人が自国の文化をしっかり身に付けていることに驚愕し、「私はなにも日本のことを知らない」と愕然とするようです。そういう私も同じ経験をしてとても恥ずかしい気持ちになりました。

日本文化とは縁のない環境で育ってきて、茶道も華道も武道もなにか特別なもの、好きな人だけが楽しむ世界と捉えていたと思います。日本の教育の中でもそれらに触れる機会があるとすれば書道の時間や部活くらい…でしょうか。自国の文化ながら趣味の延長的に感じるのはそのためかもしれません。

一方、私が経験した海外での反応は、「Tea ceremony 」として名前は知られているものの、今までみたこともない奇妙な動作や振る舞いをみて驚きの表情で様子をうかがっている感じでした。日本にいると日本文化は海外から注目されていると思いがちですが、それはもう人それぞれでまったく興味がない人もいれば興味津々の人もいます。

興味を持つ人は、いろいろ質問をしてくるので、カタチでなくその裏に隠されたことに着目しているのがわかります。精神や心よりも言葉がコミュニケーションの中心である西洋文化には存在しない独特な思考に惹かれるのだそうです。

現在は人が人を大切にする時代ではなくなってしまいました。他人のこころを傷つけ、他の人を踏み台にして自分だけがのしあがっていけばよいという人々であふれかえっております。こうした時代に人を敬い、和みの世界と物事に動じない心を生み出していくのが茶道なのです。茶道とは、世界に誇ることのできる精神文化といえるのではないでしょうか。

引用元: 裏千家今日庵

どの国であっても生きているかぎりストレスはつきものです。日本では和道が心のバランスを保つひとつとして役目を果たしていた側面もあるのでしょう。現代の妊婦や子供に対する厳しい目線からも他人への気持ちが疎かになってきていると感じます。

一方、小さいころから自分の意見をはっきり明示して自分のことも他人との違いも「言葉」で表現する文化では、思いやりや気遣いといった言葉ではなく心のコミュニケーションがとても新鮮に受け止められられているように感じます。

殺伐とした現代の日本人こそ自国の文化に目を向けてその本質をみつめることが必要かもしれません。

相手と競争し、踏みつけ、のしあがることしか頭にない現代において、母から子へ伝えるツールとしての茶道

「どうやって気持ちよく心からくつろいでいただこう?」とお話される先生は、想像して工夫して楽しんでおられる様子がよくわかります。本当にこころに余裕があり、こちらに非があったとしても正面から責めることなく大切なことを伝えるすべを持っています。

現代では、礼儀はもちろん「ありがとう」も言えない子どもが増えていると嘆いています。
ましてや相手に対して「おさきに」と配慮する心はおとなも子どもからも消えてしまったと。

「大切なことはね。全部お茶に入ってるの。」

茶道には、母から子へ伝えるべきものがすべて含まれているから伝えていきたいと子供たちを集めて教えてくださっています。

昔はひとつの家で世代間をとおして伝えていたものも、今では核家族化して家庭で教えられる人もいません。学校へ入る前から競争という市場に投げ込まれ、受験や就職活動をとおして「あの子よりも上へ!」「あの子よりも先に!」と親が煽るような世の中では、なにが大事なのかわからなくなってしまっています。

外国にはない独特な精神であることは明らかですが、わたしたちは日本文化を紹介する程度にしか思い出しもしません。自国の文化であっても知らないどころか避けているほど。

表面上のカタチにとらわれるなく、子育てという視点で眺めなおすととてつもなく大きな世界が広がっています。日本人、子どもを育てている人、とくにお母さんこそチャンスがあれば茶道を体験してほしいと思います。

茶花~白椿

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