「幼い子供が望むことはどれだけやってあげても問題ない。」
固定観念をみごとに覆されたわたしは実際に行動に移し、子供の反応にまた驚きました。

以下の記事で詳しくお伝えしています。

「過干渉」は要注意。「過保護」とは似ても似つかぬもの

ここで間違ってはいけないのは、「過保護」と「過干渉」です。
同じ意味にも捉えがちなこの二つの言葉は、似ているようでまったく真逆の意味を成します。

おんぶといったときにはおんぶしてもらえる、だっこといったときにだっこしてもらえた子どものほうが、安心してしっかり歩くようになりますし、精神的に自立していくのです。私は幼い子どもの育児は、本当に過保護なくらいでちょうどいいと思っています。

ところが過剰干渉だと子供をだめにするのです。過剰干渉というのはどういうことかというと、子どもが望んでもいないことやらせすぎるということです。これは子どもをだめにすると思います、自立心をなくします、自主性をなくします。

引用元: 児童精神科医 佐々木正美著「子どもへのまなざし」

過保護と過干渉の決定的な違いは、「子供が望んでいる」か「子供が望んでいない」ということです。そして子どもが望んでいることなら、いくらやりすぎてもまったく問題なく、むしろ子どもの心は安定して自立心が育つと。とはいってももちろん欲しているものを親は判断する必要はあります。健康に害を及ぼすとか危険が潜んでいることはしつけとして教えなければいけませんが、スキンシップや時間を忘れて遊ぶなどはとことん付き合う日を決めるといいと思います。

私自身も実践してみて、たしかに娘の精神的な違いを実感しました。

ただ気を付けなければいけないことは、小さなころに望んでも満たされなかった想いがあった場合、成長すればするほど要求はどんどん大きくなっていく、ということです。きりのない金銭的な要求や無理難題を言われても現実的に叶えてあげることはできません。文字どおり「望むことをしてあげることが大事」とすべて受容すれば心も経済も破たんしてしまいます。

そこまでなってしまったら、無理難題を投げてくる裏に隠れた本当の気持ちを考えることが必要になってきます。

私もこのことに気づいてからは、なるべく子どもの素直な望みを満たそうと努力してきたつもりですが、時には私を試すような要求をしてくることがあります。

たとえば私が手を離せない状況を知りながらひたすら来てくれるまで頑として動かず呼び続けたり。まあまだかわいいほうですが、ほぼそんなときは決まって自分のことで頭がいっぱいで娘の気持ちをないがしろにしている時なので、子どもからの信号だなあ、と気づかされます。

過干渉は「今のあなたはだめ」「認めていない」という親から子どもへのメッセージ

なんでも周りと同じようにできるように手を貸したり、この子の将来のためと早期教育に熱心になったり、どんな親でも心当たりがあると思うのですが、そのほとんどは子どもが望んでいないことをやりすぎているように思います。

泣いたり投げ出そうとする姿は、「今のあなたには満足していませんよ」という親からの無言のメッセージに対する彼らの明確な「NO!」の意思表示なのでしょう。

自分が子どものときに同じようにやられてとても嫌だった辛かったはずなのに、いざ親になると愛情のつもりでやってしまう数々のこと。我慢がたりないとかできないことに失望されるたびに酷く悲しくなったこと。「子どものため」「あなたのため」といっていることは、実は親自身の満足のためにやっているのかもしれない。

過干渉というとドラマに出てくるような強烈なキャラクターを思い浮かべてしまい、自分には関係ないと思っていましたが、ともすると誰もが無意識に陥いってしまうものですよね・・・。「過保護」も「過干渉」もどちらもあまりよいイメージではなく、なんとなく同じように理解していましたが、子どもの気持ちから離れることなく、客観的な視点を持ち続けていきたいと思います。自戒をこめて。

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