子どもがねだることをそのまま受け入れるなんてもってのほか!
お店で寝っ転がって泣きわめく子に欲しがるものを買ってあげるの!?
そんなのあり得ない!って思いますよね。
親の気持ちはそうであってもおじいちゃん、おばあちゃんが孫に甘い。
なんでも買ってあげるし、会うたびにプレゼントを用意している。
過保護は子どもをダメにするだけで良いことなど何ひとつないのに。
Contents
子どもの言いなりになる親を連想する「過保護」
子どもの果てしなく続く要求をどうコントロールするかを考える人は少なくないと思います。
仕事から帰って座るまもなく夕食の支度時に必ず来るママコール。
とっぷり暮れた公園でまだまだ帰らないとブランコから降りない宣言。
買いもの帰りの荷物で手一杯のときの抱っこ要求。なぜ今なの・・・。
まだ子どもが小さいころ、「なんでこんなに私を困らせるの!」と私も何度思ったことかわかりません。スマートフォンに子守をさせる「スマホ育児」が騒がれ、公共の場ではとくにスマホを子どもに与えてしまう、というアンケート結果が先日発表されていました。
1歳児の4割、3歳児の6割がスマホなどの利用を経験し、その頻度も約5割が「毎日必ず」または「ほぼ毎日」と、スマホなどが未就学児の日常に深く入り込んでいる。
引用:子どもたちのインターネット利用について考える研究会
私の場合、娘の卒園前後にモバイルデバイスが急速に広がりはじめたので、スマホ育児といわれる現象はありませんでした。あの頃スマートフォンが存在したなら私もどうだろう、時と場合によってはやむを得ず子どもに与えていたかもしれません。
でも環境は変化しても子どもの要求はいつの時代も変わらないものです。
私は仕事や家事というおとなの理由の時間軸のなかで、時間という概念がない子どもとどうすればイライラせずに向き合えるのか悩んでいました。そんな想いで様々な本を読む中で心に残る出会いがありました。
過保護は子どもに依頼心をおおきくして、自立のさまたげになると思っている人が意外に多いと思います。過保護とは子どもが望んだとおりにやってあげて、やりすぎるということです。
過保護というほど子どもの要求にこたえることができる育児というのは、現実にはないかもしれない。たいていは、子どの希望や拒否したり、無視していることが多いと思います。子どもの望んだことを望んだどおりにやりすぎるほどできるというのは大変なことです。子どもが望んだことをやりすぎるくらいに手をかけてやっていれば金銭でものをねだるということはあまりなくなります。
ふりかえると、子どもが望むことは理由をつけて諦めさせて拒否していた
「過保護」という既成概念を覆すこの考え方は当時の私にとって目から鱗でした。
過保護は文字通り保護が過ぎる、と受け取っていましたので、過保護で連想するのはこんな感じでした。
- なんでも親が聞いてしまうとわがままな子に育つ
- 子どもは味をしめてさらに要求する
- 自分の思いどおりになるので他人にもかまわず自我を通す
子どもは遊びでもなんでもエンドレスで「もういっかい、もういっかい」と要求してきますので、「あと〇回でおわりね」「もう5時だからおわりね」とけじめをつけさせることが大切と思っていましたし、2、3歳ならまだしも5歳になって甘えておんぶと言ってくれば「もうXXX組さん(年長)でしょ」「こんなに大きくておんぶしてる子いないよ」と諭すこともありました。
子どもが望んだとおりに満足させてあげるって意外にできるものではないんですね。
なんだかんだ理由をつけて諦めさせていた、結局要求を拒否していました。
子どもが望むことを存分にやってみた結果、自分から満足して次々と困難な要求をしなくなった
「3歳までに、乳児のときに、赤ちゃんのときに・・・」という子育て論がたくさんあります。そんな話を聞くたびに、もう3歳すぎちゃったんだけど!と思ったものです。
けれど佐々木氏の言葉は納得感がありました。
幼い子供が望むことはなにをどれだけやってあげても大丈夫。
そして乳児のときに不足があったら幼児期の前半に、あるいは後半であろうとそれなりにおぎないを早くしてあげれば、児童期、思春期に不足による問題や障害をそれだけ残さないですむと思います。そのおぎないも早ければ早いほどいいということもよく知っていただきたいと思います。
乳児、幼児期の要求といえばおっぱいや抱っこ、おんぶをしてなどが中心です。
娘はすでにその時期を越えてはいましたが、生意気に背伸びをすることもあれば、おんぶをせがむようなこともよくあったので、お迎え時に甘えてくれば「おんぶしようか?いいよ!」と時間制限もなくおぶって歩きました。そんな姿をみて保育園の先生も「不安があった日はたくさん甘えさせてあげてくださいね」と声をかけてくださいました。
こうして「好きなだけ答えてあげるよ」というと、ある時間が来ると自分から「もういい」と降りていきます。その後は、楽し気にその日あったことを元気に話してくれました。「もう大きいからおかしいよ」と諭していたときは、わかったといいながらもどこか不満げで家につくまでずっとグズグズしていたのに。この違いにびっくりでした。
娘の精神的な要求の受け入れを続けてみた結果、ああ、こんなときに・・・という場面で泣いたり、駄々をこねることは少なくなっていきました。それでもお買いもののついでにおまけ付のお菓子がほしい、などの金銭的な要求もありました。そのときは、全面で受け入れるのではなく、「お母さんが半分、おこづかいが半分で買えるならいいよ」と本人に決めさせることにしました。
それからは、おんぶも抱っこもしてほしければいつでもウェルカム!と迎えています。
さすがに外や人前ではそんな要求をすることもなくなりましたが、家の中ではなにかあれば「ぎゅーして」と抱きついてきます。そして、ある程度満たされれば、また生意気な10代の顔に戻ります。
「えっ高学年で!?」とお母さんたちには驚かれることもありますが全然問題なし。
いつかは子どもから離れていってしまうわけですから、本人が要求するかぎりは続けたいと思っています。
自分ではコントロールできない、じいじ・ばあばの金銭的なプレゼント攻撃はどうするの?
自分では納得して「精神的な要求を好きなだけ満たしてあげる」方針に切り替えたとしても、祖父母の好意を断るわけにはいきません。義理の父母となればなかなかストレートに言えないものですよね。
年に数回ならば、祖父母の金銭的な気持ちを受け取ってもよいと思いますが、常に近くにいて、常にモノを与えるという環境は子供にもよくありません。できるかぎり精神的な望んだとおりの要求を受け入れることに協力してもらうとよいと思います。自分が試してみたらこんなふうに変わった、という体験も添えると少し見方が変わるかもしれません。
小さいうちにはだっこやおんぶ、少し大きくなれば一緒に遊ぶ、もう友だちと遊ぶ時期なら好きな料理を作ってあげる、という具合です。
祖父母の「やってあげたい」という気持ちは嬉しいですが、その気持ちはいただきながら子供が本当に望んでいるものを考えていくのです。
私の場合、「娘は絵本にとても興味があるので、いただけるときは絵本が嬉しい」と伝えました。おもちゃや洋服ではなくXXXXをお願いしたい、と本人も喜ぶものをあらかじめ伝えておくのはよいと思います。
もし、あのときの私のようにイライラしながら悩んでいるお母さんがいれば、ぜひ立ち止まって考えてみて。と伝えたいです。わたしたちが「子どものため」と思って手をかけているのは、子どもの望むことでしょうか。大人が望んでいることでしょうか。子どもの望むことには意外にも拒否して無視していることが多々あるかもしれません。
誤解しがちなのが大人の望むことをやりすぎていること。
これは過干渉で子どもにとってなにひとつ良いことはありません。
今のところ、娘が法外な金銭的要求をすることはありませんが、子育てに正解はないし今後どうなるかはわからないでしょう。そのときそのとき悩みながらも、自分が納得する方法を模索していくしかないと思うのです。あのときこうしていたら、ああしていれば・・・とタラレバで話しても何の役にも立たないのですから。
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