子どもたちは生まれながらに遊びの天才です。
とにかく好きなコト、楽しいコトを見つけては考える間もなく行動しています。
「才能って・・・いったい自分には才能ってあるかな?」などと面倒くさいことは一切考えていません。

子どもは疑いもなく「できることを知っている」だけ

子どもには、才能があるとかないとか、そんな発想自体がありません。
彼らは生まれながらに「才能があることを知っている」のです。
信じているとも違う「やりたいことはすべてできることをすでに知っている」。
時がくれば、歩けることも話せることも、すべて疑いもなく、ただ知っているだけです。

でも、大人になるにつれて「自分には才能なんかあるわけがない」と決めつけますね。
好きなこと、やりたいことは、みんな子どものころに知っていたはずなのに。

情熱の火を消さないためには、常識という荒波に吞み込まれないことがなによりも大事。
もし悩んでいる方は以下の記事も何かのヒントになるかもしれません。

自分ではあたりまえと思っていたことが注目される!?

先日こんなことがありました。
学校のイベント準備で数名のお母さんが集まっていたときのこと。
たまたまうちは家族3人で来ていたのですが、世間話をするお母さんたちの中で時間を持て余した娘とだんなさんがボールを使って遊びだしました。

するとあるお母さんがつぶやきました。
「すごいなあ。一緒に遊んであげるんだ」
「うちはあんなふうに遊ばん。もうお父さんキライっていうわ・・・(苦笑)」

小さいころから公園でも子どもと一緒に遊ぶのはだんなさんでしたから、私にとってはなんとも思わない光景なのですが、その方はとても驚かれたようです。

このお母さんの言葉は家族に対する見方をすこし変えてくれました。
あたりまえと思っていたことでも、周りから見るとそうでもないこともあるんだ

いわゆるイクメンというものでもなく、なんというか子どもレベルで遊ぶことに正直複雑な気持ちになることもありました。でも、私はといえば、子どもと同じ気持ちで本心から楽しく純粋に遊びに没頭することができませんでした。まあそれが精神的な大人というものなのだろう、くらいに思っていたのです。

「でもそう言われたら、これってある意味能力かもね・・・?」

近くにいればいるほどちょっとした考えのズレや不満がより大きくなってしまって、そんな視点で見ることも忘れていました。

能力に価値を見出し育てれば立派な才能になる

才能というと、なにか突出したスキルや誰にも真似できないほどの高度な能力と考えてしまいがちです。一部の恵まれた人に与えられたもの。だけど今回のことをきっかけに「もしかすると誰にでも才能は備わっているのかもしれない」と思い至りました。

ちょっと違う視点でものごとが見えはじめると、今まで考えたことのないような発想がどんどん出てくるのです。 ん?もしかしてこんなこともできる?・・・と考えを深めていくと、本人も気づかなかったアイデアが飛び出します。意識の中に眠っていた能力というか、だれもその価値を見出していなかった、というほうがしっくりくるかもしれません。

さがしものは探しているときには見つからないといいます。
自分で必死に探しても見えないのかもしれません。
あなたの顔はあなた自身には見えませんものね。

思いがけず、ぽんっと言われたひとことに大きなヒントが隠れていることがあります。
そんな言葉に出会ったら、「ふーん。そうなんだ。」で終わらせない。
いたずらに卑下したり否定したりしない。
なるほど、そういう捉え方もある。この言葉をもらったことはなにか意味があるのだろうか?とゆっくり受け取って考えてみましょう。

また逆の立場で考えれば、だれかの才能をあなたが見つけることができるということです。
ふだんの生活の中で「あなたのこういうところ、すごいと思う。」と躊躇なく言ってみる。
もしかすると、相手に素晴らしい気づきを与えられるかもしれないのです。

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