故郷、ふるさとってどんなイメージですか?
疲れたときに帰れる場所だったり、幼馴染がいる心許せる場所、人間関係のしがらみが面倒くさいところ?

「ふるさと」がないことに違和感を感じた子ども時代

生まれたときには母方父方の祖父母3人は他界しており、おじいさんの記憶が少しだけありますが小学校前には亡くなりました。両親ともに高度成長期に東京で働き結婚したので、いわゆる祖父母がいる田舎に帰るという経験がありません。

初めて祖父母がいないことを痛感したのは小学校の教師の言葉です。
「自分のおじいさん、おばあさんに戦争の話を聞いて作文にしてください」
私は授業が終わってから自分には祖父母がいないと先生に伝えました。
すると先生は「近所にだれかいるでしょ。」と言い放って教室を出ていきました。

とても傷ついたのを今でも覚えています。
その時からか、自分には祖父母がいなくて周りとはちょっと違うのだと気づき始めました。
東京は地方の人で構成されているからでしょうか、お正月・お盆となるとあれだけ溢れていた人々がまばらになり、お店も閉まって電車の中もがらんとしていました。今ほど生活スタイルが多様ではなく、ほとんどの人が田舎に帰って親戚と時間を過ごしていたのでしょう。お正月休みが明けると、田舎に帰ってたくさんお年玉をもらった話に花が咲いていました。

ふるさととは縛られるものであり憧れでもある

ふるさとがある人と話をすると、「それはそれでメンドクサイものだよ」と言いますね。
まぁ、お互い結局のところないものねだりだな、と感じます。
あればあったで関係に縛られたり、価値観を押し付けられたりするようで、私にはわからない想いを抱いているようです。期せずして縁もゆかりもない田舎で暮らすことになった私は、無意識にふるさとを求めていたのかもしれません。

引越早々にスーパーで見知らぬおばあさんからいきなり世間話を振られたときには感動すら覚えました。お盆や暮れになると、「息子家族が帰ってくるで」「孫が来るんじゃ」といいながら迎え支度に精を出している姿に、「ああ、ここは帰ってくる側なんだな。こんな気持ちで待ってるんだ。」と第三者として冷静に観察している自分がいます。

今となっては、日本の恒例大移動を傍目に「皆とは逆方向で飛行機も空いててラッキー!」といった気持ちですので、子どものころの複雑な心境はどこえやら、という感じです。

ふるさとは場所にとらわれなくていい。「今」を生きることでふるさとも進化する

娘にとって、飛行機にのって帰るところは関東であり、祖父母もそこにいますが、本人にとってはふるさとだとは思っていないようです。横のつながりが希薄な実家より、彼女が日常過ごしているこの場所には、血は繋がっていないけれどいつも気にかけてくれる大人やお年寄りがたくさんいます。田舎こそ子どもが安心していきていくセイフティネットワークなのだと感じるのです。

学年にかかわらず声をかけてくれるお父さん、お母さん。
いつも顔をあわせている近所のおじさん、おばさん。
子どもの遊びついでに野菜を持たせてくれるおばあちゃん。
登下校を毎日見守ってくれる、日本の文化を教えてくださる地域の方々。

地域の子供たちを集めてお茶をおしえてくださる様子

地域の子供たちにお茶をおしえてくださる様子

厳密にいえばこの土地はわたしたちのふるさとではありませんが、娘にとってはいつでも温かく迎えてくれる心のふるさとになるのかもしれません。でも、おそらくそれは「土地」ではなくて「人」がそう思わせてくれるのだと思います。

これから娘が成長するにつれて、色々な場所でさまざまな人と出逢うでしょう。
その瞬間、瞬間を真剣に生きていけば、またそこに新たな「ふるさと」ができるのだと私は思います。

どんな場所でも生きていけるためには「人との関わり方」がとても重要。
心地よい距離感を保ちながらモノも関係も抱えすぎず暮らしていきたいと考えています。

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