運命の人なんかいない。運命の人にする!

年末に放送を終えた「逃げるは恥だが役に立つ」は久しぶりに親子で楽しめるドラマでした。
独特な言葉回しもおもしろく、数々の名言が出ていたようです。
私が個人的に刺さったのは、みくりの母親が「運命の人なんかいない、運命の人にするのよ」という言葉。

こんな会話を交わせる母娘ってどんなでしょう。
母の生き方が十分にしみこんだ言葉を受け取る娘の心の安定感のようなものも同時に感じた瞬間でした。母親役は、凛としながらも愛らしい笑顔の富田靖子さん。素敵な女優さんです。

「これって運命?いやちがう・・・」一生迷って過ごすの?

だれしも考えたことがありますよね。
なにか起こることに対して「これって運命?」
だれか出逢う人に対して「この人が運命の人?」
若いときは大いに迷って結構。
そうやって試行錯誤しながら人生は創っていくものだと思うから。

でもある程度年齢を重ねたとき、ふと思いました。
「こうやってずっと迷ってばかりいるのかな。結局人生迷ったまま終わるのかな」と。

結局、起きる現象や出逢う人は外から与えられるもの、運命は外からやってきて自分ではどうすることもできない、と考えていました。だから次にやってくる運命を待つか、待たないか、という完全に受動的な姿勢だったのです。

運命は自分で決める「覚悟」をもてば人生に迷いがなくなる

迷うことは決して悪いことではないと思います。
しかし、迷った末に決断がなければ前に進むことができません。
いつまでたっても同じところで足踏み状態。人生の決断はだれしも間違えたくないからものすごく慎重になるけれど、いずれその状況に疲れてしまって目を背けてしまうこともあるかもしれません。

でも、「正しい」とか「まちがえ」って誰が決めるのでしょう?
真剣に考えて考えて自分で出した結論なら、それはすべて正しいと私は思うのです。
わたしが決めたこと。わたしが良しとしたこと。

それでも時間とともにまたフツフツと「これでよかったのだろうか・・・」という迷いが襲ってくる。迷いに支配されてしまう人にもし足りないものがあるとすれば、それは「覚悟」かもしれません。

「よし、私は決めた。これは運命かも、ではなく運命にする。」

自分の人生は自分で運転する「主体的な姿勢」をもつ

「人生のハンドルは自分で持つ」という名言も先のドラマで話題になっていました。本当にそのとおりでだれかにあなたの人生のハンドルを握らせてはいけないのです。頭ではあたりまえと思っていても、大切なハンドリングを他人に譲ってしまっている場合は結構あります。

相手の感情によって自分の心が揺らいでしまうことありませんか?
苦手な人が常に気にかかり、頭の中がいつもその人に占領されてしまうことはありませんか?

どちらも相手に感情のコントロール権を渡してしまっている。
それに気づかずイライラしたり落ち込んだりして、結局自分の人生のハンドルを相手に委ねているのです

私は具体的に車にのっているイメージを頭に描きます。
運転しているのは自分。様々な人が私の車に同乗してきますが、座る場所は助手席か後部座席。私と相手の関係性によって座席は変わります。相手がハンドルに手を伸ばそうとしてきたらやんわり断ります。

「これは私の車だから。私が運転しますね。」

それでいいのです。
意思表示をしっかりして、感情的にならずに説明するだけ。
すこし距離を置きたいと思えば、相手をお送りして下車してもらいます。
あくまでも冷静に、また話したくなったら乗ってもらいましょう。
ただし、運転手は自分です。

私の車(=私の人生)、見える光景や場所(=身に起こること)、同乗者(=出逢う人々)
そんな光景をイメージしてみてください。

自分の車を自ら運転する自覚を持ち、誰を乗せどこに行くかを決断し、事故を起こさないよう細心の注意を払って車をコントロールしながら目的地に向かうのです。

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